Khachaturian : “Lezginka” from «Gayane» Grand Symphony Orchestra named after Conductor : Vladimir Fedoseyev 2023, Moscow ************************ Хачатурян : “Лезгинка“ из «Гаянэ» Большой Симфонический Оркестр имени П.И.Чайковского Дирижер : Владимир Федосеев 2023, Москва *********************** 往年の名演、そして伝説的な名演である1991年の来日公演のアンコール演奏には及ばないものの(それほど、日本での1991年の演奏は特別だったと言えるでしょう)、しかし、御歳90歳を超えてなお「レズギンカ」のフェドセーエフ・テイストは健在。 マエストロ・フェドセーエフのカフカース音楽や、ムーッソルグスキィやボロディーンらの民族楽派の演奏は、多くの人を惹きつけて止みません。 (日本ではムーッソルグスキィやボロディーンらの楽派を「ロシア五人組」や「国民楽派」と、そっけなく呼びますが、ロシアでは『力強い一団』。名は体を表すと言ったところでしょうか。マエストロとБСОによる「展覧会の絵」や、ボロディンの第2番などは、この「力強い一団」という言葉がピッタリです) しかし、マエストロ・フェドセーエフとБСОによるこれらの演奏が、人を惹きつけてやまないのは、単に音楽における民族的表現が上手だからだけではありません。 それは、マエストロ・フェドセーエフが、クラシック音楽の洗練さと、民族音楽の土臭さを、黄金律で融合させていることによるもので、言うなれば知性と動物的ともいえる本能の共存。そして、知性と本能とは、まさに「人間」そのものです。どちらか一方が欠けてしまえば、そこに「人間性」は無くなってしまいます。知性がなければ動物、本能がなくなってしまえば、ただの機械になり下がってしまいます。 マエストロ•フェドセーエフとБСОの『力強い一団』の演奏は、だからこそ「人」の心に強い共感を持って迎えられるのではないでしょうか。 (マエストロ・フェドセーエフとБСОによるハチャトリヤーンを、もし物足りないと感じるのなら、情に重きを置かれる方と言えるかも知れませんし、一方、「洗練されていない」と感じるのなら、知性に重きを置かれる方ということかもしれません。) ともかく、「レズギンカ」のフェドセーエフ解釈で見られるこの知性と本能(民族性)の黄金律は、そういった意味では、ハチャトリヤーン自演による演奏さえ超えています。(ハチャトリヤーン自演のレズギンカは民族性に重きが置かれていると言っていいでしょう ) しかしマエストロ・フェドセーエフとて、1人の人間。およそ半世紀という長きに及ぶアカデミックなオーケストラとの関係は、彼の音楽の方向性を「洗練さ」だけに変えてしまったのでしょうか? 否、これはБСОひいて
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