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伊東:当時、売上の7割が小室プロデュース作品だったんですから大変ですよね、その売り上げがなくなるんですから。そのときエイベックスは小室さんに代わる音楽プロデューサーを探そうとしたけど、あんな天才は他にいるわけがないんです。ですから、小室さんと一緒にやっていく中で教わった作詞、作曲、アレンジ、宣伝、プロモーション、ライブ、マーケティングなどを分業化することにして、これが今のエイベックスの骨子になっています。 そこで「作家を探せ」という使命をもらって、捨ててあるデモテープを聴き漁ったんですね。そこから生まれたのが、後にDo As Infinityのメンバーになった「長尾大(D・A・I)」だったり、浜崎あゆみの曲を作った「菊池一仁」、それから「多胡邦夫」(木山裕策の「home」など)。全員当時はアルバイトの青年で、長尾大については、カセットテープのケースは捨てて中身だけを白い封筒に入れて「長尾大」って書いてるだけなんですよ。切手50円で送れるから。皆さんデモテープを聴いたことはあると思うんですが、2秒くらいで良いか悪いか分かるんです。で、カセットを聴くと31曲入っていて全部良いんですよ。その場ですぐ電話して「すぐ来て」と。それで原宿で会って、竹下通りでラーメン食べて「契約しよう」と。そうしたらラーメンなんか奢られたことないって喜んで契約してくれて(笑)。 ハグ:安く上がりましたね(笑)。 伊東:実際その31曲はその後全部使われましたね。そのくらいクオリティが高かったんです。最初に声掛けてくれたのがポニーキャニオンさんで、当時チェキッ娘というアイドルがいて、2曲渡したうちの1曲を選んでそれがデビュー曲になったんです。でも、返してくれた曲に、浜崎のブレイクのきっかけになった「TO BE」って曲があったんですよね。ちょっと運命的な話ですけど。 ハグ:長尾さんは他にも送ってたんですか? 伊東:『Musicman』って本、知ってます? あれのレコード会社とかプロダクションの一覧に”あいうえお順”で片っ端から送ったらしいんですけど、当時エイベックスのプロダクションは「アクシヴ」という名前だったので、届くのが早かったんですよ。その後どんどん電話がかかってきたらしいんですが、早い者勝ちなので。長尾とか菊池一仁が作家として浜崎とかEvery Little Thing、hitomiとか、ヒットを作っていった相乗効果でエイベックスのクリエイティブ面のレベルが上がっていきました。それによって作家からもどんどん「所属したい」っていう連絡がくるようになりましたね。 エイベックス

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